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2015年9月26日 (土)

現在の「暴力」の基準からすると私が青少年時代の富山県魚津市はどうなるか? (2)

 今回の記事は当サイト所定条件無断転載など可能とします。

 今回の記事中に出てくる私の出身校名は私が卒業した当時のものです。
 また、現在の在校生は私が在校中の出来事とは無関係であることを予めお断りしておきます。その点をご理解願います。

 この「現在の「暴力」の基準からすると私が青少年時代の富山県魚津市はどうなるか?」シリーズについてはコチラを(1)とします。

 今回に限らずこのブログのシリーズ形式の記事は特に断りが無い限り、その記事単独で読んでもよいですし、シリーズを通して読んでもよいものとして書いております。

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 このシリーズ(1)でも少し触れたが、以前私は各報道で小学生が荒れている、という記事を目にした。それを見て1977年生まれの私が思ったこと。
 確かに暴力行為はひどい。場合によっては厳罰もやむを得ない。ただ、昔に比べて荒れたというより、昔は計上されなかったことでも現在では計上されるようになったから増えたように見えるだけの可能性もあるかもしれない、と。

 そして(1)ではこんなことも書いた。
 「 短絡的に昔に比べてイマドキの子どもは悪くなったと評するのはもちろん良くないが、さらにそれに加えてしてはならないことがある。
 子供が悪くなったのは『厳しい』教育ができなくなったからだ、などと行き過ぎた指導・処罰や体罰とされる行為を容認・推進するのはいただけない。」と……

 今回は小学生の暴力という概念からは趣旨がずれているが、暴力事件防止という観点からあえて書いてみることにした。

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 ・ 私が在学中、富山県魚津市立東部中学校で何があったか…

 今だったら体罰・暴力として批判されることでも、私が中学生だった頃(1990年4月~1993年3月)は被害が表に出にくかった。
 富山県魚津市立東部中学校は私の出身校。そこに限らず当時は日本全体が教師の不適切な言動に現在よりは寛容だった。

 当時の生徒達の親や教師は知っているだろうか?現在では不適切とされる教師の言動から、一部の生徒がとんでもない言動を他の生徒にやらかす事態にまで発展したということを……

 今回の記事ではそれについて具体的に触れていく。

 大多数の私の同級生の名誉のためにお断りしておくが、同級生の中でもヤバかったのはその中のごく一部である。それについてはご理解願いたい。
 ただ、ごく一部の同級生にこのような者がいたことは述べておく。
 今回の記事ではその同級生をAと表記する。

 教師であれ生徒であれ、また社会全体において、動機がカルトじみた独善的な理由であったり、やられた側にも落ち度があったからといってそれを過大に強調して肉体的・精神的暴力を正当化していいというわけではない
 そういった観点からするといわゆる「体罰」「パワハラ」も「いじめ」に該当するであろう。

 で、Aがどんな言動をとったのかというと……

 他の生徒に対して暴力を振るった。被害者となった生徒は教師に相談して、Aにそれなりの指導は行われたようである。
 それで解決したのかというと…

 残念なことに、私が在校中の富山県魚津市立東部中学校にも前述の「動機がカルトじみた独善的な理由であったり、やられた側にも落ち度があったからといってそれを過大に強調して肉体的・精神的暴力を正当化」する教職員はいた。

 しかも当時は社会全体が今以上にそういった教職員に対する対策が充実しておらず、泣き寝入りした生徒も少なくなかった。
 同級生Aによる暴力の被害生徒も、そういった教職員から「何か」を受けたことがあるようである。

 そして暴力を振るった側のAは自らの行いを反省するどころか、自分が被害を与えた生徒にこのような言葉で圧力をかけてきたようである。

 「教師だったらいじめをやっても何も言われずに済んでるんだぜ!お前が被害者になっても!
 なんで俺のときは先生にあれこれ言われなきゃいけねーんだよ!!
 」

 こんな感じで……

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 ・ カルトじみた独善的善意、落ち度を強調した肉的的・精神的暴力を擁護した当時の大人が、富山県魚津市立東部中学校の生徒の暴力を結果的に手助けしてしまった可能性もあるな…

 Aの行った行為がどこまで被害者側に、被害を訴えることに対しての萎縮効果があったのかはわからない。ただ、こういったことは考えたほうが良い。
 「指導」「教育」とされれば無闇に擁護するのはやめておくべきだし、そうならないように各個人が自身の言動に十分注意すべきと思われる。

 特に不特定多数の人が読者・視聴者・閲覧者になりうる報道・出版・ネット上での書き込みが結果的に遠まわしに青少年の暴力を助長してしまったとなれば……

 なお私は「昔はこうだった」からといってどんなことでもそれが正しいというつもりはありません。その辺は強調しておきます

 残念なことに今でも「動機がカルトじみた独善的な理由であったり、やられた側にも落ち度があったからといってそれを過大に強調して肉体的・精神的暴力を正当化」と思える現象を肯定する人たちも多い。
 だが、それが理不尽な暴力を正当化する青少年を作り出す結果になってしまったら……

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 ・ 最後に

 今回の記事では私の出身中学校について触れてきた。当時の在校生や教職員の中には不快に感じるという方もいるかもしれないし、それ自体はやむを得ないと考えている。
 ただ私は、正当な批評とされる範囲について十分注意して書いたので、それについてはご理解願いたい。

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