反日に打ち勝ちたければ子どもの権利にも関心を
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なお、文中に出てくる一部の言葉については次のように定義します。
・ 子ども : 国連の子どもの権利委員会(CRC)の定義に従う。
・ 反日 : 不当に日本や日本人の領土や土地、財産、生命、その他権利全般に害をなすこと。
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不当に権利を侵害し、それを正当化するケースの中には次のようなケースが挙げられる。
・ 対象者の落ち度を過大に強調して「こんな目にあわせられても仕方がない」とする。
・ カルトじみた独善的な思考で、対象者に「自分を鍛えるためだ、受け入れろ」とする。
よく、「反日に打ち勝つためには愛国心教育が必要」という人たちもいるが…
権利侵害を正当化し受け入れを強要するような教育でうまくいくわけないだろう、と言いたい。
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・ 確かに昔の教育は…でも…
今だったら暴力とされたり不適切とされる教育でも、昔は「教育熱心」「熱血指導」などの言葉で美化されたものである。「いくらなんでもこれはないわあ」というものでさえ…
私は1977年生まれ。私が「青少年」と呼ばれた時期だった頃も…
しかし私はそれが良いことだとは決して思っていない。理由をつければどんなことでも正当化していいわけではない。
反日とされるものの中には冒頭で述べた不当な権利侵害を正当化するケースだってある。
反日に打ち勝ちたければむしろ子どもの権利についても極力制限を加えないことと、正しく権利を行使することについて教育したほうがよっぽど良いのでは。
まるっきり大人と同様と言うわけにはいかないにせよ、ある程度年齢が上がってくればそれなりに権利をうまく使えるようになってくるし、それに応じて権利の制限を解除していく、ということで。
根拠がなければ自分の権利を否定されるいわれはない。そして他人の権利もそういった考えで守る。そういった教育の方がむしろ国益にもつながるのでは。
そうすれば「反日」に権利を侵害されたときだって同じように考えるようになるのでは。
ましてや、不当な権利制限を美化する教育でどうやって「打ち勝て」というのであろうか?
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子どもの権利については外部サイト「村野瀬玲奈の秘書課広報室」の記事「2010年、子どもの権利条約による対日審査の成績は『不合格』 (2)」 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1919.html も読んでみた。興味深いことが書かれている。
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